ヅカオタの備忘録⑥~ソロ観劇のすすめ~

2018年11月2日(金) 宙組公演『白鷺の城/異人たちのルネサンス-ダ・ヴィンチが描いた記憶‐』

ソロ観劇が楽しくて仕方がない。

昔、一人で旅行をすると周りから心配されるような人間が、今では月イチペースでひとり宝塚へ遠征しているのだから、まったく分からないものだ。

ソロ観劇の良い点は、開演までの時間を(周りに迷惑をかけない限り)自分の思うように過ごせるところだ。

劇場周辺を足の向くままに散歩して、偶然見つけた店にふらっと入る。パンを買って食べる。近くの図書館で手塚治虫の漫画『火の鳥 鳳凰編』を読む。近くの神社に参拝する。トップスターさんの背負い羽根の重さを体感できるリュックサック*1をしょって歩きまわりお辞儀を繰り返す。

こうやって自分の思うように時間を過ごす。何にも縛られないこの時間がたまらなく好きで自然と口許が緩む。縛られるのは開演時間だけで十分だ。

 

これだけひとりとかソロとか書いてたら、どんだけ孤高のヅカオタなんだって思うかもしれない。でもそれは違う。観劇後の溢れ出す感情を共有する相手のいない悲しさは毎回感じている。たまに座席が隣になった方が話しかけてくださった時には、喜びのあまり逆に冷静になって対応してしまった。私は孤高のヅカオタなのではない、ただフィジカル的にひとりなヅカオタなのだ。

じゃあなんで私はソロ観劇が楽しくて仕方ないのか?それはソロ観劇が私なりの処世術のひとつだからだ。

 

平野啓一郎さんの著書*2に、私という存在はつねに他者との相互関係の中にあると書かれているように、今の私があるのは他者との関わりによるものが大きい。というかほぼ他者のおかげである。けれど、他者との相互関係の中で生きていると、時々そこから抜け出したくて堪らなくなる。だからこそ、ひとりの時間を作ることが重要になる。私は、ひとりの時間を過ごすことで心の均衡を保ち、再び他者との相互関係の中へ戻って現代社会を生きているのだ。

だから宝塚にいるときの私はしばしば『孤独のグルメ』の井之頭五郎になる。

時間や社会に囚われず、幸福に観劇欲を満たす時、つかの間、私は自分勝手になり、自由になる。

…とは言ってもお店や劇場の人とは話すし、完全に他者との関係を断ってるわけじゃないのでかなり中途半端なひとり時間だと我ながら思う。本当にひとりになりたかったら山でソロキャンプした方がいいかもしれないし。

まあ重要なのは、自分の好きなやり方で自分が気を遣わなくてよい時間を過ごすことだと思う。私はひとりでテント張ったり、火起こしは出来ない。

 

※これはあくまで私のソロ観劇に対する考察であり、皆さんにソロ観劇をお勧めしているわけではありません。寂しがりやだけど周りの顔色ばかり気にして体調崩すくらいメンタル弱めな私が、現代社会を生きる糧としてソロ観劇してるってだけの話です。

 

全然演目のこと触れてないけど、『異人たちのルネサンス』のフィナーレナンバーは今までの観劇人生の中でいちばん興奮をおぼえたので、時間があれば是非映像でご覧あれ。芹香斗亜さんの前髪、あれは反則だ…

あとマイエンジェル・星風まどかさんへの見解が公式と一致してめちゃくちゃ嬉しかった。彼女は正真正銘の天使です。

*1:全面に銀のスパンコールが施されたリュックサック。宝塚市立宝塚文化創造館2階のすみれ♪ミュージアムにて体感出来る。

*2:『私とは何か』を参照